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実際の患者に、薬効成分のない効かない薬剤「プラセボ」を投与することについては、「倫理的に問題がある」との指摘や反対意見も多く見られます。

患者の治療を受ける権利を奪い、治療機会を奪っている、という主張です。

一般に、プラセボ投与中は他の治療が受けられません。

そのため、病状が重いような疾患に対しては、病状を悪化させないよう、「プラセボ」の使用は禁止されています。

日本では、その「非医療性」と「非倫理性」から、「プラセボ」はあまり使われてきませんでした。

医師も、「プラセボ」を使った治験をやりたがらない傾向がありました。

被験者募集が難しくなる(同意率が低下する)ことも、「プラセボ対照治験」が採用されない大きな理由の1つとなっていました。

患者としては、
どうしてわざわざ面倒くさい治験に参加してまで、プラセボ(効かない薬)を投与されなければならないのか?
という気持ちが湧いて当然です。

「プラセボ」は、医療行為という点においては、倫理的問題があることは明らかですが、科学的に意味のある治験を行うには、
必要悪」の存在だと言えるでしょう。

プラセボを使用する治験への参加を患者に呼びかける際は、プラセボに当たる可能性があることを十分に理解し、納得してもらった上で、参加してもらわなけれなりません。

被験者は、被験薬に当たる可能性に一縷の望みを賭けて治験に参加することになります。

もし、プラセボを使用する治験への被験者を集めやすくしたいのなら、プラセボを使用しない治験よりも「治験協力費」の金額を高めに設定する(例えば、1.5倍とか)、というのもひとつの方法ではないかと、私は考えます。

なぜなら、第T相試験を除けば、被験者は本来、治療を受けるために治験に参加するからです。

その目的が適わない可能性(リスク)があるであれば、当然、それに対する何らかの「補償」が必要だと思うのです。

インフォームド・コンセント
(IC)
 
 

ところで、いく醜類か発表されている「治験のガイドライン」を読むと、「有効な治療が知られていない病態に対して、新治療の臨床試験が行われる場合には、新治療とプラセボを比較する試験に倫理上の問題は生じない」などと書かれています。
(例:臨床試験における対照群の選択とそれに関連する諸問題)

つまり、「計画している臨床試験で調べようとしている病態に有効な薬がある場合に、初めて、プラセボ対照を使用する場合の倫理上の問題が生じる」というのです。

この論理では、「実薬対照を用いることが可能な場合にプラセボを用いることには、問題がある」と述べているだけであり、「プラセボを使うこと自体の倫理性」については述べていません。

「プラセボ対照による比較試験でないと、科学的に意味のある結果が得られにくいこと」、そして、
「他に有効な治療が知られていない場合、比較対照としてはプラセボを用いざるを得ないこと」
その理屈は十分理解できます。

しかし、だからと言って、

「もともと他に治療法がないのだから、仮に治療効果のないプラセボに当たったとしても、倫理上の問題は生じない
と言い切って、

「くじ運が悪かったと、被験者も納得してくれるだろう」と高をくくって、被験者側のあきらめにゆだねてしまうところに、実施側の傲慢さが感じられます。

同じ疾患に苦しむ患者であるにも関わらず、治療効果のあるものを投与される人と、治療効果のないものを投与される人に分けること自体がすでに、医療的に、倫理的に問題あるのです。

この問題をクリアするには、それに見合った何らかの「補償」をすることでしか、解決策はないと思われます。

 
 
プラセボとは?
プラセボ対照試験
ヘルシンキ宣言におけるプラセボに関する記述
 
 
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