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被験者の事を
治験ボランティア
医薬ボランティア
医学ボランティア
と呼ぶ場合があります。

確かに、自発的に進んで治験・臨床試験を受けるという意味では、「ボランティア」かもしれませんが、大事なことを見落としています。

被験者はあくまでも「患者」なのです。

本来ならば(健康体ならば)、誰が好きこのんで、副作用が起こるかもしれない薬剤を
自ら進んで投与されたいと思うでしょうか?

(健康な若者が、お金目的で参加する第T相試験はともかく)

患者は、自分の病気を治すために、やむを得ず治験に参加しているのです。

それを「ボランティア」などという安易な表現で、片づけてしまって良いのでしょうか

献血するのとは訳が違うということを、理解するべきです。

また、「ボランティア」という言葉には、「参加することはいいことだ」という意味が暗に含まれていることに気がつくべきでしょう

もちろん、治験に参加すること自体は、決して悪いことではありませんが、

「ボランティア」
→ いいこと
→ 奨励されるべきこと、
  誉められるべきこと

という図式がそこにあるのです。

「ボランティア」という言葉は、まさに、
治験に参加する行為を美化 している言葉なのです。

ボランティアに参加しない人
=社会に貢献しない人

治験に参加しない患者
医療の進歩に貢献しない人

であり、「ボランティア」という言葉は、患者に対して、治験に参加しないことに後ろめたさを感じさせるのです。

いわば、脅しですね。

 
 

ところで、最近、さらに、困った表現型が出現しました。

創薬ボランティア

創薬」というのは、あくまでも、「薬を創る」側の発想であり、表現です。

ここに「患者」の立場は不在です。

それに、

そもそも、患者は 「ボランティア」 じゃないんだってば!

 
 

「創薬」という言葉の「患者不在性」を補う
、より新しい表現型に「育薬ボランティア」という言葉があります。

育薬」というのは、製薬企業だけでなく、医療機関、国、地方自治体、そして、患者が一緒になって、「薬を育てて行こう!」という姿勢を表現したものだそうです。

「育薬」には、「患者参加性」も加味されている点で、患者不在の点は解消されていますが、

だから〜、患者は 「ボランティア」 じゃないんだってば!

それに、社会のために「薬を育てて行こう!」などと思うような、殊勝で自己犠牲的な患者さんは、滅多にいませんよ!

<おさらいコーナー>
患者は、自分の病気を治すために、やむを得ず治験に参加しているのです。
社会貢献というのは後付けの理由です。

 
 

創薬」とか「育薬」とか「ボランティア」とか、どうして、日本人というか日本の製薬企業は、感情を込めた「言葉」を使いたがるのでしょう?

ウザッタイだけです。

もっと、単純に合理的にクールに考えればいいんです。

治験とは、患者が自分の病気を治すために自主的に参加するもの。

従って、治験に参加する患者のことを、
治験参加者」と呼べばよいのです。

「治験参加者」という言葉は、事実をそのまま描写しただけであり、そこには何の意図も下心もありません。

治験に参加されたい患者さん、
いらっしゃ〜い!
この指と〜まれ!

ただ、これだけの簡単なことがなぜ分からないんでしょうね。

 
 

被験者のことを、「治験モニター」と呼んでいるサイトや団体がたまにあります。

「モニター」という名称は、治験従事者にとっては、「治験モニタリング担当者」の略称なので違和感があります。

おそらく、一般人に多少意味が通じる「商品モニター」からとった名称でしょう。

商品モニターとは、商品を実際に使ってみて、その感想や不満点などを報告する「一般人の消費者」のことです。

「モニター」

@ 放送・新聞の内容や商品の品質などについて、依頼を受けて参考意見・批評を提出する人。

A 機械などが正常な状態に保たれるように監視する装置。また、その調整技術者。

(広辞苑より)

治験や臨床試験への参加者(被験者)は、依頼を受けて(あるいは自分から希望して)参加をしますが、参考意見や批評を提出することは求められません。そういう役割ではないからです。

もちろん、自分から実施者に対して意見や批評をすることはできますが、それが本来の治験・臨床試験への参加目的ではないはずです。

ですから、「被験者」のことを「治験モニター」と呼ぶのは、論理的にみて明らかにおかしいのです。

 
 
被験者
治験のメリット(治験FAQ)
 
 
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